こんにちは (^^)/
江戸の四大大衆食、天婦羅、鰻に続いて最後の寿司について。
えっ、蕎麦? 残念ながら蕎麦の知識は皆無なので書くことができません ^_^;
感覚としては関西はウドン文化、関東はソバ文化。 これは何故か?
確かに大阪ではソバの店よりもウドンの店のほうが圧倒的に多いと思う。
本当かどうかはわかりませんが・・・以前、聞いた話によると・・・
江戸時代に上方(関西地方)では既にウドンが庶民の食べ物となっていた。
そこで江戸っ子は上方よりも良いものを、ウドンよりも高級なものを!
という思いからソバ粉を使ったソバを好んで食べたという話。
「上方は粉をこねただけの安物、江戸はソバ粉を使っている」
見栄っ張りの江戸っ子が自慢したとか。 定かではありませんが ^_^;

さて、話を戻してお寿司について。
寿司が誕生したのは江戸時代末期、今から200年前だと言われてます。
江戸湾(今の東京湾)で獲れた魚を使って寿司にしたのが江戸前にぎり。
江戸時代、寿司は屋台で食べるファストフードだったのです。
冷蔵施設もない時代なので塩〆や昆布〆、マグロのズケなどは先人の知恵でしょう。
寿司屋の湯飲みが大きいのはお茶のおかわりの手間を省くため、という笑い話も。
また、屋台で寿司を食べた後に客が屋台の暖簾(のれん)で手を拭いて帰ることから
流行っている店(屋台)の暖簾はカビカビになっている、なんて話もあります。
鰻の記事でも書きましたが関東と関西では寿司でも違う文化を辿ったようです。
関東では握り寿司がメイン。 そして細巻きといえば干瓢巻。

コチラ関西では箱寿司、巻寿司という文化が根付いたようです。
バッテラ好きな関西人は非常に多い。 干瓢巻は当店でも殆ど注文はありません。

そもそも江戸っ子はせっかちな気質だったせいか、寿司を摘まんですぐに仕事に
戻るという感じだったらしい。 なので握り寿司が主流になったのかも。

関西では寿司は花見や行楽の折詰として持ち帰るのが主流だったよう。
なので箱寿司や巻寿司の文化が根付いたのでしょう。
今では物流、冷蔵、冷凍施設が発達したので日本中、いや世界中から新鮮なまま
食材を調達することが出来るので関西も関東も変わりないのではないかな。
寿司は今や 『 SUSHI 』
外国の人にも寿司が人気というのは携わっている者としては嬉しいもんです (^^)
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